すべてを望んでますが、なにか?
11.132013
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今日、Facebookで親しくさせていただいている方の投稿で、
ドキッとする内容のものがありました。
それは、どういうものかというと・・・
金と権力とダンナと子供とマイホーム。
全てを手に入れたオンナは自信に満ち溢れてるよね。
っていうものなんだけど、
ひと昔、ふた昔前なら、
女性が金と権力を握るなんていうのは、
ほとんど考えられないっていうか、
1部の特別な人達がなし得ることであって、
普通の人には、到底思いも及ばないことでした。
まあ、女性の場合、結婚によって、
その両方を手に入れるという方法もありますが。
(いわゆる玉の輿ね^^)
また、女性の社長さんっていうのは、
波瀾万丈の人生を送り、艱難辛苦の末、
ある程度の年齢になって、成功を勝ち得たっていうのが、
多かったように思います。
(細腕繁盛記とかおしんとか・・・^^;知ってる?)
でも、最近では、どうやら事情が違ってきてるらしいです。
ネットの中でも、女性で起業して、
成功しているひとをたくさん見かけるようになったし、
なによりも、若い女性が多い。
すごいなあ~!と、
昭和の半ばに生まれた世代のわたしは、
感嘆するばかりです。
彼女たちには、何のリミッターもないんですね。
わたしたちの親の世代は、
女性は男の仕事を影から支えるもの、
という考えが当たりまえでした。
そういう親たちに育てられた、わたしたちも、
それに近い価値観を持って、育ちました。
幾ばくかの反発を覚えながらも、
自分で道を切り開いて、
自分が真っ向から、波風を受ける人生なんて、
これっぽっちも考えたりはしませんでした。
なぜなら、その選択のほうが、楽だからです。
なにも好き好んで、矢面に立つなんて、
しんどいし、おそろしいし、嫌だから、
したくありませんでした。
仕事にしても、会社に雇われて、
責任のある仕事に就くのは、
できれば避けたいと考えるのがほとんどでした。
だから、学校を卒業して、勤めだしても、
早く結婚相手を見つけて、寿退社したい。
そういうのが、普通の女子の思考であり、
願望であり、王道でした。
親の庇護から、配偶者の庇護のもとへとくだりたい。
それが、幸せ。
それが、人生の勝ち路線。
そんな風に考えていました。
意識しないままに、自分に制限を設けていたわけです。
それが、いまや、そんな制限など微塵もない女性が、
どんどん増えてきていますね。
素晴らしいことだと思います。
彼女たちには、すべてを手に入れるのが、
当たり前のように目標設定できる、
マインドがあるんですね。
これまで、女性が、社会で地位を手に入れるためには、
なにがしかのものを犠牲にしてこなければなりませんでした。
それは、幸せな結婚であったり、出産であったり、
自由であったり、自分自身であったり・・・
でも、よくよく考えると、なぜ諦めなければいけなかったんでしょう?
なにかいいものを手に入れるためには、
何かを手放さなければいけない。
本当にそうなんでしょうか?
そんなことは、ないのかもしれません。
そういう風に思うことで、自分に逃げ道を作っているのではないでしょうか。
そうしておけば、失敗した時の言い訳がたちますからね。
自分自身のことを振り返ると、
あの時、ああしなければ今頃は・・・
とか、
あの時、誰それのあの一言がなければ、きっと、もっと・・・
とか、
誰かや何かのせいにして、
自分を正当化し、いろんなことをあきらめてきました。
でも、その時その時、選択肢は必ずあったはずなんです。
そして、それを選んだから今の自分がいるんです。
もしも、今の自分に満足できなくて、
もっとなんとかなると、少しでも思うのなら、
これから来る分かれ道を、
正しく選択しなければいけません。
自分が到達したい場所と、さらにその先にあるものが、
自分に見えていなければ、選ぶことはできません。
わたしの場合、どうやら自分がやりたくないと思う方を選ぶのが、
正しい選択のような気がします。
基本的に横着で、楽したい性格なので^^;
ちなみに、先の引用文の中の、
「ダンナと子供とマイホーム(ただし名義はダンナw)」は
手に入れてるので、
残るは「金と権力」!!
よしっ! ww