義務教育って素晴らしい
03.142013
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今日、娘から渡されたプリントの中に、
新学年の教科書の販売の案内がありました。
あうっ!<ちょっと軽くボディーブローが効いたところ^^;
そうだ、高校は教科書代がかかるんだった。
ちょっと待って!授業料はどうだったっけ?
娘に確認したら、授業料っていうのは、いらないらしい。
よかた。。ちょっとホッとしました。
それでも教科書と副教材、合わせて約2万円の出費です。
痛いわ~(><)
思えば、去年、娘が高校入学するまでは、
教科書なんてタダで配布されていたんですから、
教科書を買うという概念がすっかり抜け落ちてしまっていたんですね。
そうやって考えてみると、
小中の義務教育の期間の9年間、
無料で教科書を貰えるってすごいことですね。
また、授業料が必要でないということも。
このありがたみを今更ながらに実感します。
学校に行って、教育を受ける。
日本では当たり前のようなことが、
当たり前でないところもあります。
学校に行けずに、
労働力として小さいうちから
働かねばならない子どもたちも、たくさんいます。
ちゃんとした自分の教科書というものを
持つことができない子どももいます。
だから、あなた達は幸せなんだよ。
と子供に言って聞かせた所で、
子どもたちには自分たちが享受しているあらゆる事柄、
サービスが、当たり前だと思っていて、
感謝という気持ちを持ちません。
たとえば、お茶やジュースを飲んだ後のコップを
流しの洗い桶に放り込んだままにしています。
放っておくと、綺麗なコップがすべてなくなるまで、使い倒します。
気が付くと、洗い桶は山盛り満杯になっています。
で、いつも私は屋敷下僕じゃない!と、怒るわけですが^^;
あなたのお宅ではどうでしょう?
コレを片付けるのは誰ですか?
今、当然のように、
その家の主婦、お母さん、
と思い浮かべたのではありませんか?
ソレはなぜでしょう?
洗い物や片付け物をするのが、
主婦または母親の仕事だから?
家事をするのが当たり前だから?
では、なぜ当たり前なんですか?
なぜ、自分でやろうと思わないのですか?
1. 自分のすべきことではないから。
2. 自分のできることではないから。
3. 面倒くさいから。
4. 他の誰かがやればいいことだから。
5. 綺麗なコップがなくても困らないから。
これらは書き換えるとこうなります。
1. 傲慢
2. 未熟
3. 怠惰
4. 無責任
5. 無関心
この思考を反対に持っていけば、
コップはいつも綺麗なままで、
いつでも使える状態になっているし、
一家の主婦は無駄な労働とイライラから開放されて、
精神状態が良くなるので、
家庭は円満になるってもんですよ。
ただのコップひとつとっても、
ちょっとだけ使った人が洗うということで、
物事がうまく回るようになるんですね。
ただのコップの話のようで、
ただのコップの話じゃないんですよ^^
根本的に我が家の躾が悪いというのは、
また別な話ってことでヨロシクです^^;
ソレを言っちゃあオシマイよw