自由にならなくてもいいんじゃないの?
04.102014
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先日読んだある人のメルマガに、
「自由ってなによ」
っていうのがあったんですが、この人と同じようにわたしも主婦で、夫が稼いできてくれるので生活自体は成り立っています。
なので、わたしがガッツリ月収ン十万だのン百万だのを、目指す必要はまるでないわけです。
や、まあ、ね。
そりゃ、お金なんて言うものは、いくらあってもジャマにはならないし、あればそれなりに心と生活にゆとりができていいわけですが^^;
まったくなくて、生活できないようじゃ困るけど、なきゃないでなんとかなるのもお金だと思うんですよ。
それに、どんだけあっても、アチラまで持っていけないですしね^^;
まっ、それはさておき、メルマガに触発されたので自由についてちょっと考えてみました。
平日昼間から酒を飲めるのは真の自由なのか?それってただのアルコール依存症なんじゃないの?w
ネットビジネスや、アフィリエイトをやってる人で、
「自由になりたい」とか、
「自由を手に入れました」とか、
言ってる人が多いように思うんですけど、なんだかその「自由」がすごく薄っペラいんですよね。
そもそも、その人達の言う「自由」って何なのかなあ?って、そう考えるんです。
わたしがこれまでに、そういう人たちのサイトやメルマガやLPで見かけたことのある自由ってどんなのがあるかというと、
- 会社に行かなくていい自由
- 毎日同じ時間に同じ場所に通わなくていい自由
- 好きなもの、ほしい物を、いくらでも買える自由
- いつでも、どこでも、好きな時間、好きな場所で仕事ができる自由
- 世界中を放浪の旅に出ることができる自由
- したくない仕事をしなくてもいい自由
- お昼からお酒を飲んでのんびりする自由
などなど。
ほかにもあるんですけど、こういった内容のが多いような気がします。
たしかにどれもこれも、魅力的に見えるような気がしますね^^
でも、この自由っていうのを自分に当てはめてみると、どうも何やら違うような気がしてしかたがないんです。
わたしはお酒は飲めますが、好きではないので自分から進んで飲もうと思いません。
お酒に酔うことで気持ちがよくなるとか開放された気分になるとか、そんな経験がほとんどないからだと思いますが、そもそも酔っぱらって人格が崩壊してる人が嫌いなので、酒席が大嫌いです。
こういうとなぜか付き合いが悪いだの楽しみを知らないだのなんだのと言われますが、アルコールの力を借りないと人生が楽しくないなんてことのほうがよっぽど貧しい人生だと思います。
偏見だろうがなんだろうが、平日昼間っから酒飲んでクダ巻いてるようなのは、唾棄すべき人種だと思って軽蔑します。
また、アルコールの影響でまともな判断のできない状態に 陥るというのは、すごく気持ち悪い状態だと思うので、あえてその状態に身を置きたいとは思いません。
まあ、酒は嗜好のものですから、飲むなとまでは言いませんが、酒を通じてでないと真の人間関係が成立しないと考えているような人たちとは「お友達」にはなれないでしょうねw
それぞれの自由の形があるのが当たり前のはずなのに
さて、上記であげたネットビジネスで成功したといわれる人たちの言う自由のスタイルですが、これって単身者ならいいのかもしれませんね。
自分という個体を主軸に据えて人生をプランニングできるのですから。
でも、わたしのような主婦の場合、家族とのさまざまな関わりを考えていくと、その自由がはたしていいものなのか・・・?
と、そう考えてしまいます。
だいたい、主婦って自分ひとりだけのことを考えているといろいろと不具合が生じてしまうんですよね。
たとえば、わたしが放浪の旅に出てしまったら家族や家はどうなるだろうか?
猫達の世話は誰がするんだろうか?
とかね^^;
家族みんなで旅に出るという選択もできますが、家族それぞれにだって個々の意志があり、同じように放浪したいと思わないかもしれません。
てか、家族で放浪って・・・ww
つまり、現状、主婦で母であるという立場のわたしにとって、自由というのはある一定の枠内において可能なものを指します。
そして、その自由は、家族と自分の幸せが同じ方向を向いているということ前提で手に入れるべきものなのかなと考えます。
というよりも、ごめんなさいm(_ _)m
わたしは自由なんか求めていないみたいです^^;
確かにお金が足りないということの不安からの解放は、望んでやまないことのひとつですけれども(笑)
自由でいることよりも、自分が必要とされて求められるゆえの不自由のほうがいいです。
誰からも必要とされない、求められないというのは、そこに存在していないのと同じことではないでしょうか?
いてもいなくてもいい存在なんかになりたいですか?
わたしは、イヤです。
と、以前プロフにアフィリエイトをやる目的の一つとして書いた「自由と安定した生活を手に入れる」の「自由」が、実はただ言葉を言葉としてだけ使っていたんだなと、今になって思います^^;
この時のわたしの考えていた「自由」は、中身のないペラペラな「じゆう」という音だけにすぎなかったようですね^^;
絵に描いた餅の自由ならいらない。
だから不自由、Welcom!です(笑)
自分を不自由にしているのは自分自身
ネットビジネスの成功者の言う自由というのは、裏を返せば現状自分が抱えている不満を表現したものにすぎないんじゃないかな?
- 会社に行かなくていい自由
→ あ~会社行くのめんどくせぇ~。仕事ダリィ。 - 毎日同じ時間に同じ場所に通わなくていい自由
→ なんでいつも電車こんなに混んでるんだよ。通勤ウゼェ~。 - 好きなもの、ほしい物を、いくらでも買える自由
→ あアレほしいな。でも今月ピンチだしなー。しかたない、ガマンしよう。でもほしいなあ。 - いつでも、どこでも、好きな時間、好きな場所で仕事ができる自由
→ カフェでPC開いて仕事してるオレってカッコよくね? - 世界中を放浪の旅に出ることができる自由
→ 海外から情報発信ってカッコいいよな。英語できないけどw - したくない仕事をしなくてもいい自由
→ 俺様にはもっとふさわしい仕事があるはずだ。なんでこんなクソツマラネエ仕事まわしてくるんだよ。 - お昼からお酒を飲んでのんびりする自由
→ 昼からグダグダしたいけど、紙一重だから間違えられたらいやだな。ちょっとムリ。
自分が置かれている現状に不満があって、それを解消するための努力をしないで愚痴をこぼしているだけだと、簡単に甘い言葉に引っかかってしまうんですよね。
で、自分でも簡単に稼げるようになるんじゃないかと、会社を辞めてしまって後悔している人が少なくないんじゃないかと思います。
だから、ネットビジネスを始めたからと、とっとと会社を辞めてしまうっていうのは早急にすぎないのではないかなと。
ただ、会社を辞めた、会社を辞めたい人にもそれぞれの理由があると思うし、命の危険や精神的に追いつめられて病気になっちゃうおそれのあるような職場にいつまでもしがみついている必要はまったくないと思います。
自分を失うくらい重大な損失はないですからね。
でもね、ただの不平不満だけ辞めちゃうっていうのはちょっと違う、そう思います。
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会社で頑張らなかった人がネットビジネスを始めて簡単に成功できると思ったら大間違い。
自由を手に入れたと思ったら別な不自由に縛られるかもよ。
まとめ
人の言葉に惑わされないで、なにが本当に自分に大切で必要なのかを過不足なく見極めること。
それが真の自由への道なんじゃないかなと思います。
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